日韓の文系論文を読む人

読んだそばから忘れるので……

【論文】英小説「ハリーポッター」の翻訳から見る日韓のキャラクター表現の違い

 

1.比較対象を少し変えてみて


同じ小説を読んでいるはずなのに、翻訳を通すだけで言語ごとに違った印象を受けることがありますよね。
日本語に翻訳されたセリフの場合、より女性っぽい口調が原作の表現意図からズレてしまわないか?が議論に上がることが多いです。

今回は、韓国語の原文と比較して発見された日本語翻訳の特徴が、英語の韓国語翻訳文と比べても同じことがいえるのかを調査した論文を紹介します。

 

共有する論文:佐々紘子「翻訳に現れる役割語に関する考察 -『ハリー·ポッターと賢者の石』の 英日·英韓の翻訳文を研究対象に」

 


2.役割語と翻訳調


この研究は、英語を原文として翻訳された日本語文と韓国語文を比較・対照することによってそれぞれに現れる役割語の使われ方の違いについて考察しました。
論文では主に以下の2点が考察されています。

  1. 英韓翻訳、英日翻訳の翻訳でも日韓翻訳や韓日翻訳を比較対照した先行研究結果のように、日本語が韓国語より役割語が多く現れるのか
  2. もし、日本語の方が役割語が多かった場合、韓国語では役割語以外にどのような装置があるのか

 

研究資料に選定されたのは、『Harry Potter and Sorcerer's Stone』の日本語版『ハリー・ポッターと賢者の石』と韓国語版『해리포터와 마법사의 돌』の第1章の会話文で見られた役割語です。
英語版を基準に、文章ごとに区切った結果168文が集められました。
その中から役割語が現れた文は、日本語版で71文、韓国語版で38文でした。

この調査結果から以下のことが分かりました。

役割語の使用様相
日…博士語、女ことば、方言
韓…하오体
英→日…女性と男性の区別が付きやすい役割語
英→韓…年配男性の役割語

②日本語における女ことばの使用
日…役割語使うことが自然であれば、原作に関係なく役割語を使う傾向があり、女性性が誇張されて翻訳された時に等価性を損なう場合がある。

役割語の役割
物語の虚構を支えるための装置

④翻訳調の役割
虚構へ入り込ませるための装置
韓国語における「翻訳調」は、冠形詞の「그」や人称代名詞の「 그들」の多様、語順の違いと考えられる。
日本語より役割語が少ない韓国語は、役割語が無くても翻訳調の文章によって虚構へ入り込めるからだと考えられる。*1

 

論文の筆者は、今回の研究をより深いものにするために他の翻訳作品における役割語や翻訳調の比較対象分析を今後の課題としました。

 


3.不自然な翻訳をどう捉えるか


日本語翻訳の役割語については他の論文の指摘と同様の結果になりました。
一方で、韓国語ではネイティブが使わない英語っぽい表現が、作品の世界観を表現しているという考察になりました。

翻訳するときに気をつけるポイントとして、原文の意味から飛躍した文章を作らないことと、翻訳であることを読者に感じさせない自然な文章を作ることが挙げられます。
この点において、英語っぽいと韓国語読者に感じさせる翻訳調は、あまり肯定的に評価するのは難しいでしょう。
しかし、読者がすでに作品の舞台が韓国でないイギリスであることを理解しているため、英語っぽい表現がむしろ作品の世界観を伝えるのに成功していると評価できます。

では、日本語の役割語の場合はどうでしょうか。
翻訳調と同様に、役割語もあまり現実的でない表現ではあるものの、作品の世界観を作り出し、読者の没入感を高める役割を果たします。
反面、女性性が誇張されるなどの違和感は、日本語翻訳者や読者の間にイギリス小説のキャラクター像と日本語の役割語が表現する人物像が合わないことが共有されている結果ではないでしょうか。
従来の役割語とは別の演出によって、キャラクター像を読者に伝える工夫を考えるタイミングが来ているのだと思います。


最後まで読んでくださってありがとうございます。


論文


佐々紘子「翻訳に現れる役割語に関する考察 -『ハリー·ポッターと賢者の石』の 英日·英韓の翻訳文を研究対象に」『일어일문학연구』vol.100, no.1、韓国日語日文学会、2017年、pp. 67-83

*1:pp.78-80

【読書レポ 論文編】魔法を与えられた少女が象徴するパワー

 

可愛く変身できる魔法

子どもの頃、ほうきにまたがって空を飛ぶマネをして遊んだことはありますか。ほうきで空を飛ぶ魔法は、魔女がもつイメージのひとつです。

魔法を使って戦うのは、なぜか少女のイメージが強い日本アニメ。今回は、その「魔法少女」は、「魔女」のイメージがどのように関係しているのかについて論じた論文を共有します。

 

共有する論文:「「魔法少女」アニメからジェンダーを読み解く」

 

夢と希望になった「魔」

須川は、「魔法少女」をジェンダーの視点から読み解くために以下のような3点に注目することを提案します。

 

①「西洋」の魔女をベースにした魔法少女の表象の日本における社会文化的意味はどのようにして作られたのか?
②「西洋」の魔女をベースにした魔法少女の表象における社会的文化機能はどのように作用したのか?
③「西洋」の魔女をベースにした魔法少女の表象は、社会文化的コンテキストにおいてどのように変容し、どのような意味を生成したのだろうか?*1

 

キリスト教における「魔女」は、中世では、どちらの性別の人物かを意味していませんでした。それが徐々に女性を指すようになり、18、19世紀の欧州では「悪魔に従う女性」として魔女を描きました。しかしながら、子供向け映画に登場する魔女は、悪いイメージを持たない「良い魔女」も存在します。ここにおける魔女は、結びつく要素によって姿を変えていきます。

 

日本における「魔女」と近い存在に、「女妖怪」がいます。女妖怪は、外見の美醜に関係なく、男性の思うままにならない存在であることが共通した特徴です。つまり女妖怪は、男性にとって恐怖の存在であり、彼らが持つネガティブなイメージが女性へ付けられたために生まれたのです。日本人にとって、「魔」が女性と結びつくとき、権力を握る男性たちが抱える不安感や恐怖を他者である女性へ投影し、それを否定、排除することで権威を守ろうとしてきた歴史が思い起こされます。そのため子供向けアニメに相応しくないと考えられてきました。

 

このような事情から、日本の子供向けアニメは「魔法少女」を創りだします。須川は、このことを以下のように指摘します。

 

そこで持ち出されたのが,西洋の<魔女>と「少女」である。キリスト教におけるコンテキストに精通していないゆえに,禁忌のネガティブイメージは日本人には実感がなかった。<魔女>が,「西洋」のかっこよさ,女性の強さ,そしておしゃれのセンスを伴い,三角帽子にマントに杖といった記号化された意匠だったことも,少女主人公のモデルとして選択されやすかった理由としてあげられるだろう。p.111

 

このような選択をすることで、魔法少女は西洋の魔女がもつネガティブイメージを子供向けアニメに持ち込まないことに成功しました。

 

1960年代に放映された「魔法使いサリー」以降、女性たちの社会的時代背景を反映しながら、魔法少女の魔法の意味が表現されてきました。それらは女性が既存の性規範に囚われずに、女性である自分を肯定してきました。2000年代に放映された「セーラームーン」のヒット以降、魔法少女は、西洋的なイメージから魔法によって自らをドレスアップし、美しく、たくましく戦う少女へとイメージが変化します。

 

女児向けアニメと異なる深夜アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」が「魔法少女」が抱える矛盾に切り込みます。従来の「魔法少女」アニメでは繰り返し、戦う理由を弱者や仲間を守るためとし、自己犠牲を自らに強いました。『セーラームーン』『プリキュア』は、成人女性(母親を除く成熟した身体)を敵として描きました。しかしながら、魔法少女の敵の姿は、成長した自分の未来の姿でもあります。つまり、敵を倒すことは成熟への拒否であり、少女でいられる期間を延ばすことでもあります。このことを「魔法少女まどか☆マギカ」は明示し、従来のアニメが描いた主人公の自己犠牲について、須川は「魔法少女まどか☆マギカ」シリーズから以下のように考察します。

 

<魔女>になってしまったほむらは,「魔法少女は夢と希望を叶える」と言って自己犠牲したまどかを,欲望のままに神的存在からひきずり下ろしてしまう。ここで問われるのは,魔法少女が叶えるのは,“誰にとっての”夢と希望だったのか,ということである。魔法は少女をエンパワメントし,美とパワーを手に入れたかにみえた少女たちであったが,無害化,理想化された少女像の枷から逃れていないのだ。*2

 

「魔」が自己へ向けられるとき

別の研究者が書いた論文でも、戦う少女が成人女性を敵とすることで成熟への拒否、あるいは男性に恋する描写から揺らぎがあるという指摘があります。少女は、成人の世界から切り離されることで自身を守ることができます。しかしながら少女は、やがて自分も大人の仲間入りを果たし、その瞬間、二度と少女に戻れないこともよく理解しています。したがって身体、社会的成熟を促されることは少女たちにとって脅威であり、「いま、ここ」の期間を延ばすためには戦うしかありません。

 

歴史的にみた場合、女性がもつ「魔」は、他者である男性へ向けられていました。それが「魔法少女」になった瞬間、その「魔」は自己である女性へ向けられるようになっています。もちろんアニメでは、男性の敵も少なからず登場しますが作中で印象的に描かれやすいのは、王子様てきな少女と親しい男性の存在でしょう。状況によっては、少女の王子様である男性も戦闘に加勢し、一人で強敵を倒して少女を救出することもあります。そして少女がこの状況を望んでいるように、王子様である男性に依存する描写が見られ、このことについての批判が散見します。

 

成熟を拒否し続ける少女にとって男性の存在は、最大の脅威になる他者のはずです。本来なら、排除すべきとしてその魔法を存分に発揮するべきでしょう。しかしながら、作中では少女を護り、少女が心を開ける数少ない他者として振る舞います。戦い、勝ち続けるはずの魔法少女が本当は、未成熟であるがために力弱く、限定期間を過ごすため脆い存在であることを自覚しているからだと思います。したがって魔法は、その少女の脆弱性を補うために機能するといえます。

 

魔法少女」がもつ「魔」が自己である女性へ向けられる問題について、注目すべき点は、少女にとって「母親」が他の成人女性と異なる意味を持つ点だと思います。少女にとって「母親」は、最も想像しやすい自分が成熟した(しきった?)未来の姿です。したがって、向き合うに堪えがたいはずです。それでも少女にとって最も長く関係をもち、無条件で味方でいられるのも母親です。このような存在の母親を否定することは、自身の過去、ルーツを否定することにもなります。しばしば「魔法少女」や少女アニメには、弱者(赤ちゃんや幼い動物)を世話し育てることで、疑似的に母親になることがあります。「無害化、理想化された少女像」の中で、母親がどのような文化的意味を生成し、少女たちが母になることをどのように考えているのかについてもう少し、ジェンダーの視点から議論が欲しいと感じます。

 

calil.jp

*1: p.109

*2:pp.119-120

【読書レポ】文系と理系は思考するときの闘い方が違う

 

文系クラスと理系クラス、どうやって選択した?

高校生になると専攻でクラスが分けられ、大学になるとそれぞれが全然違う世界に見える。大人になって勉強することがなければもう解放された気分になる。―文系か理系か問題。

 

今回は、文系と理系の違いについて説明したうえで学ぶことと日常生活の関係について述べた本を共有します。

 

共有する本:「文系?理系?」

 

大前提として

今回は1冊の中の「第1章 何のために勉強するのか」を取り上げます。

 

志村は、何のために勉強するのかという疑問に「男はつらいよ」の寅さんの発言を引用し、以下のように回答します。

 

いまの世の中、「常識的な答」はインターネットなどで、誰でも簡単に得ることができますが、「物事の本質を問う」ということは簡単なことではありません。物事の本質が問えるためには、「筋道立てて考えること」が前提になります。情報技術(IT)の発達した社会が求める人材(人財)は「常識的な答えを知っている人間」ではなく「物事の本質を問える人間であることは明らかでしょう。*1

 

このように大量の知識を暗記することが勉強の目的なのでなく、論理的に考えるための訓練が勉強の目的になります。しかしながら、文系と理系はこの論理的に考えるために通る道筋と科学の対象が異なります

 

志村は、文系、を以下のように説明します。

 

人文科学が対象にするのは人間の精神活動であり、広くは人類の文化です。また、社会科学の対象は人間の生活環境や社会現象です。つまり、文系の科学の対象は個別的であり、時代あるいは地域によって変化し得ますし、そのような“変化”自体が“科学”の重要な対象になるのです。*2

 

続けて、理系を以下のように説明します。

 

自然科学を勉強した「理科系の人」の筋道の基盤は、このような“自然”の事象であり、その理屈を考える自然科学から導かれる宇宙規模で普遍的な自然の摂理なのです。「理科系の人」はきちんと筋道を立てて考えることを、“自然”と自然科学から学ぶのです。したがってそのような“筋道”に忠実である限り、自分の行動を“その時の気分で決める”行動が是認される余地はないのです。*3

 

このように、理系と文系では大きく異なる考え方と立場をとります。どちらにしても、論理的に考えることは自分の身を守ることに繋がります。毎日の生活で何かを選択する際に、騙されたり踊らされたりすることなく冷静に検討する力を論理的思考が支えます。

 

そして志村は、なぜ勉強しなければいけないのかに答え、勉強する面白さを説明したうえで、以下のように考える原動力について述べます。

 

つまり、問題は「その人間が“重要な現象”に眼を留められるかどうか」であり「注意を惹かれるかどうか」なのです。また、「その“現象”を重要と思えるかどうか」なのです。また、「その“現象”を重要と思えるかどうか」なのです。さらには「知的欲求を持続する」ためには、まず「持続」以前に、「知的欲求を持てること」、「強い関心が生じて来ること」が必要です。*4

 

文系出身と理系出身の対立

これは著者が工学出身の人なため、全体的に理系の話がメインになります。そして、この理系に対する文系という流れで話が進むため内容に偏りを感じます。自然科学分野だけだは不十分なので人文科学の視点も両方必要ですよ、という主張は大いに同意できます。さらに理系領域が苦手、不得意で避けてきた文系の人を読者に想定しているような雰囲気です。そのため、理系の人が読むと面白みは薄いのかもしれません。

 

わたしは、文系領域で長い間学んできました。そこで感じるのは、理系の人はあまりに文系のことを知らなさすぎるということです。反対に、わたしも理系のことを知らなさすぎると感じます。知らないから、自分はどの立場からどのように問いに対して考えていくのかということを理解している人は、少ないのではと感じます。自分の訓練された領域のやり方が当たり前で、他を知らないから、文系の課題に対していきなり理系のやり方でマウントしたり、理系に対する文系の仕事に気づかなくて自信をなくしたりといった人が登場するのではないでしょうか。

 

わたしは、文系は人間が書いたり作ったりしたものを対象に、理系は人間が作っていない、コントロールできない自然を対象にしていると認識しています。難しいのは、これは対象をどう捉えてどのように考えていくかという問題です。同じ対象物でも文系と理系は異なる結論を出すことは少なくありません。例えば、ある個人を「人間」だと捉えたら文系っぽい発想になりますし、「ヒト(動物)」だと捉えたら理系っぽい発想になります。他には、社会科学は統計が大事になってくるので文系だけど理系寄りのようなグラデーションになる領域も存在することです。大事なのは、自分がどこの立場から考えているのかという説明を怠らないことだと思います。

 

この話は、時間あるときにもっと共有したい話題だと考えています。

 

参照文献

 

 

calil.jp

*1:p.28

*2:p.29

*3:pp.31-32

*4:p.45

【読書レポ】文系と理系は思考するときの闘い方が違う

 

文系クラスと理系クラス、どうやって選択した?

高校生になると専攻でクラスが分けられ、大学になるとそれぞれが全然違う世界に見える。大人になって勉強することがなければもう解放された気分になる。―文系か理系か問題。

 

今回は、文系と理系の違いについて説明したうえで学ぶことと日常生活の関係について述べた本を共有します。

 

共有する本:「文系?理系?」

 

大前提として

今回は1冊の中の「第1章 何のために勉強するのか」を取り上げます。

 

志村は、何のために勉強するのかという疑問に「男はつらいよ」の寅さんの発言を引用し、以下のように回答します。

 

いまの世の中、「常識的な答」はインターネットなどで、誰でも簡単に得ることができますが、「物事の本質を問う」ということは簡単なことではありません。物事の本質が問えるためには、「筋道立てて考えること」が前提になります。情報技術(IT)の発達した社会が求める人材(人財)は「常識的な答えを知っている人間」ではなく「物事の本質を問える人間であることは明らかでしょう。*1

 

このように大量の知識を暗記することが勉強の目的なのでなく、論理的に考えるための訓練が勉強の目的になります。しかしながら、文系と理系はこの論理的に考えるために通る道筋と科学の対象が異なります

 

志村は、文系、を以下のように説明します。

 

人文科学が対象にするのは人間の精神活動であり、広くは人類の文化です。また、社会科学の対象は人間の生活環境や社会現象です。つまり、文系の科学の対象は個別的であり、時代あるいは地域によって変化し得ますし、そのような“変化”自体が“科学”の重要な対象になるのです。*2

 

続けて、理系を以下のように説明します。

 

自然科学を勉強した「理科系の人」の筋道の基盤は、このような“自然”の事象であり、その理屈を考える自然科学から導かれる宇宙規模で普遍的な自然の摂理なのです。「理科系の人」はきちんと筋道を立てて考えることを、“自然”と自然科学から学ぶのです。したがってそのような“筋道”に忠実である限り、自分の行動を“その時の気分で決める”行動が是認される余地はないのです。*3

 

このように、理系と文系では大きく異なる考え方と立場をとります。どちらにしても、論理的に考えることは自分の身を守ることに繋がります。毎日の生活で何かを選択する際に、騙されたり踊らされたりすることなく冷静に検討する力を論理的思考が支えます。

 

そして志村は、なぜ勉強しなければいけないのかに答え、勉強する面白さを説明したうえで、以下のように考える原動力について述べます。

 

つまり、問題は「その人間が“重要な現象”に眼を留められるかどうか」であり「注意を惹かれるかどうか」なのです。また、「その“現象”を重要と思えるかどうか」なのです。また、「その“現象”を重要と思えるかどうか」なのです。さらには「知的欲求を持続する」ためには、まず「持続」以前に、「知的欲求を持てること」、「強い関心が生じて来ること」が必要です。*4

 

文系出身と理系出身の対立

これは著者が工学出身の人なため、全体的に理系の話がメインになります。そして、この理系に対する文系という流れで話が進むため内容に偏りを感じます。自然科学分野だけだは不十分なので人文科学の視点も両方必要ですよ、という主張は大いに同意できます。さらに理系領域が苦手、不得意で避けてきた文系の人を読者に想定しているような雰囲気です。そのため、理系の人が読むと面白みは薄いのかもしれません。

 

わたしは、文系領域で長い間学んできました。そこで感じるのは、理系の人はあまりに文系のことを知らなさすぎるということです。反対に、わたしも理系のことを知らなさすぎると感じます。知らないから、自分はどの立場からどのように問いに対して考えていくのかということを理解している人は、少ないのではと感じます。自分の訓練された領域のやり方が当たり前で、他を知らないから、文系の課題に対していきなり理系のやり方でマウントしたり、理系に対する文系の仕事に気づかなくて自信をなくしたりといった人が登場するのではないでしょうか。

 

わたしは、文系は人間が書いたり作ったりしたものを対象に、理系は人間が作っていない、コントロールできない自然を対象にしていると認識しています。難しいのは、これは対象をどう捉えてどのように考えていくかという問題です。同じ対象物でも文系と理系は異なる結論を出すことは少なくありません。例えば、ある個人を「人間」だと捉えたら文系っぽい発想になりますし、「ヒト(動物)」だと捉えたら理系っぽい発想になります。他には、社会科学は統計が大事になってくるので文系だけど理系寄りのようなグラデーションになる領域も存在することです。大事なのは、自分がどこの立場から考えているのかという説明を怠らないことだと思います。

 

この話は、時間あるときにもっと共有したい話題だと考えています。

 

参照文献

 

 

calil.jp

*1:p.28

*2:p.29

*3:pp.31-32

*4:p.45

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制定日:2023年6月25日
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男性プレイヤーによって対象化されるゲーム女性キャラたち /韓国ゲームに現れる女性キャラクターの形象とその特徴

 

ゲームの登場人物の姿を見てみると

ゲームというと、いろんな端末やジャンルを思い浮かべると思います。スマホゲームで気軽に遊ぶこともできるようになり、今までゲームをしてこなかった人も遊ぶようになったかもしれません。でも依然として、ゲーム好きと言えば男性のイメージが強いように思います。

 

今回は、韓国ゲームに登場する女性キャラクターの姿に注目した論文を共有します。

 

共有する論文:グウォン・ドギョン『韓国ゲームに現れる女性キャラクターの形象とその特徴』

 

男性中心主義になっている韓国のゲーム

韓国のゲームのユーザーは、主に男性です。そのため、主人公は男性ユーザーが自分を投影しやすい男性に設定されることが多いです。登場する他の男性キャラクターは、現実的な容姿をしており、年齢や性格に合った衣装を着ています

 

このような多様な男性像に対して、女性キャラクターは、主人公の男性キャラクターをサポートする役割を主に担います。見た目が幼く、身体は成熟した女性であり、性格や職業に似合わない露出が多い服を着ていて現実的ではありません

 

論文の筆者は、背景として2つの要因があるとして以下のように述べます。

 

ひとつ目は、現実世界で経験する欠乏感を女性キャラクターを対象に、ゲームの虚構的世界の中で充足しようとする男性ユーザーの代理になる男性キャラクターを通じて満足する志向性だ。現代韓国社会の中で、ゲームは男性ユーザーが現実世界の中で経験した挫折感を解消するため一種の虚構的な埋め合わせの装置として存在する側面が強いといえる。
(中略)
ふたつ目は、男性ユーザーの虚構的な埋め合わせ志向をマーケティングに活用しようとする、ゲーム製作社の産業的意図だ。ゲーム制作者がマーケティングを成功させるためには、韓国のゲームのユーザー層の絶対多数を占める男性ユーザーの欲求に沿う必要がある。男性ユーザーの欲求充足がゲームの中の女性キャラクターを通して成り立つとする時、ゲーム製作社の立場では、このような女性キャラクターを道具にして、ゲームユーザーの主流を占める男性ユーザーへ現実世界では充足できない虚構的ファンタジーを提供することとして、ゲームマーケティングの成功を意図するしかないのだ。

 

このようにして、「韓国のゲーム」というジャンル自体が、男性の欲望で成立してきました。対して、主体的な女性像をもつキャラクターが見られるゲームのひとつが、FPSゲームです。韓国のゲームは主に、戦略シミュレーション、RPG、対戦格闘などがあります。これらのメインユーザー層は男性になりますが、一人称視点シューティングゲームは、全体の30%以上が女性ユーザーを占めます。FPSに登場する主体的な女性キャラクターは、この女性ユーザーたちが求める社会的な自己実現と成功のロールモデルとして機能しています。

 

筆者は、韓国のゲームの女性キャラクターは、以下の3つのまなざしが重なり合って作られたと結論を出しました。

 

ひとつ目は、ゲームというジャンルのアイデンティティの中に内包されている男性中心的視線だ。2つ目は、女性に対する社会の差別的視線だ。3つ目は、大衆コンテンツがもともと持っている力を通して具現する女性的欲望の視線だ。韓国ゲームに現れる女性キャラクターは、虚構的人物の姿、形になり、その中では現実的、社会的視線と欲望の視線が網のように織り交ざっているのだ。

 

女性キャラクターの多様性について

マーケティング戦略として考えた場合、男性と女性では、女性キャラクターに期待することが異なると分かりました。興味深い点は、自己投影の対象となるキャラクターは現実的な姿になる一方で、他者になるキャラクターは非現実的になる傾向にある点です。虚構の世界へ入るときも現実の自分との同一性を保とうとしているのだろうと思います。虚構の世界なのだから、プレーヤーも非現実的姿でいることを追求してもいいように思えます。しかしながら、自分と異なる存在が明らかに現実と違う姿をすることが、虚構の世界を演出するための要素として働いていると分かります。あくまで、プレイヤーの同性キャラクターは、プレーヤーの代理であり、プレーヤーの想像の範囲から逸脱しない範囲で、作られているといえます。

 

今回は、韓国ゲームは男性ユーザーを中心に発展してきたという前提で書かれているため、女性ユーザー中心のゲームとの比較はありませんでした。おそらく、女性ユーザー中心のゲームにおける男性キャラクターも、現実的な設定になっていないと考えられます。もう少し相対的に調査してみると、違う結果が見えてきそうです。

 

参考論文

クウォン・ドギョン『韓国ゲームに現れる女性キャラクターの形象とその特徴』、2011年
권도경 "한국 게임에 나타난 여성 캐릭터의 형상과 그 특징" 2011년

www.kci.go.kr

2021年7月11日note記事を修正、再投稿.

妖怪ウォッチと異なる戦略をとった韓国怪談アニメ/アニメ<神秘アパート:ゴーストボールの秘密>の構成的特徴と伝統的怪談のコンテンツ化の意味

 

懐かしの肝試し大会

子どもの頃、夏休みに怪談話をしてたことがありますか。子どもの頃の怪談話と言えば、学校や近所での事件の話が中心だったと思います。児童向けコンテンツでも必ずといっていいほど、妖怪や幽霊、トイレの花子さんのような噂話をもとにした話があります。有名なシリーズだと、「学校の怪談」や「怪談レストラン」がアニメ放映されてました。この2つは、韓国でも吹き替えで放送された有名なアニメです。しかしながら、最近になって、初めての韓国製作の怪談アニメが登場し、韓国で大ヒットしました。

 

今回は、このアニメの特徴と果たした役割について考察した論文を共有します。

 

共有する論文:ソン・ソラ『アニメ<神秘アパート:ゴーストボールの秘密>の構成的特徴と伝統的怪談のコンテンツ化の意味』

 

 

 

韓国初の怪談アニメ


韓国最大のアニメ専門チャンネルが製作した児童向けの怪談アニメ『神秘アパート』は、過去に放送された日本製作の怪談アニメと以下の相違点および特徴が見られます。

 

①韓国で、子どもを対象に製作した最初の鬼神を素材に扱ったホラーアニメ
②驚くべき興行成績を見せ、多様な領域でコンテンツの拡散を行なった
③日本で製作し吹き替えたホラーアニメ作品とは、内容の本質的志向で違いが見られる *1

 

近代に「児童」の概念が誕生したことにより、「童話」の概念も出現しました。児童を対象とした童話は、創作や口伝えによる説話の脚色を通して、教訓性を強調することが目的です。この論文の目的は、神秘アパートを対象に怪談物語をシリーズ構成する方式を綿密に調べ、その意味と描写の意味とコンテンツとしての価値を押さえることです。

 

物語の特徴として、主に3つが挙げられます。

  1. 多様な社会的問題を含めた日常の恐怖としてのお化け
  2. コミュニケーションと理解を通した鬼の恨みを晴らす
  3. 協力してくれる存在としてのお化け、および恐怖の消却

 

従来の童話における鬼は、子どもたちに教訓と肝試しとしての道具として用いられていました。しかしながら、神秘アパートにおいてお化けは、仲良くするための道具として発想の転換が見られました。また、エクソシストのような、多様な国の文化を登場させることで、鬼を活用した物語の想像力を自由にさせるきっかけにもなりました。

 

神秘アパートが商業的成功を修めた背景に、鬼そのものをキャラクター化させ、親しみあるイメージを作ったことにあります。そのイメージを活用し、ぬり絵やフィギュアなど多様な商品展開が行われました。神秘アパートの商品展開は、鬼を恐怖の対象ではなく、遊びと娯楽の対象として再誕生させたと考えられます。

 

ちなみに、日本製作アニメで近い作品に「妖怪ウォッチ」があります。妖怪ウォッチの特徴として以下4点が挙げられます。

 

①子どもたちが理解しやすいストーリー
②キャラクターの名前に込められたオマージュやパロディ
③1人ずつ仲間を集めるストーリー展開
④妖怪の属性要素をキャラクター化した戦略 *2

 

神秘アパートの場合、物語の見せ方や鬼自体を娯楽の対象にすることで成功した点が、妖怪ウォッチと異なるといえます。

 

論文の筆者は、結論として以下のように述べます。

 

<神秘アパート>シリーズは、‘鬼神’を産業的コンテンツで成功させることに寄与した。子どもたちのための教育用道具は、もちろん、玩具等にも積極的に使用され、娯楽と遊戯を対象に鬼神を含めた基盤を用意することで鬼神文化が大衆的に拡散されることに一定の役割を果たしたのである。*3

 

子供向けアニメの成功


国内製作にすることで、韓国由来の怪談を中心に扱われている点が、神秘アパートの最大の特徴です。既存の登場人物を現代キャラクターとして、新たに作り直して商品展開する手法は、日本では定番です。

 

しかしながら、多様な文化圏のお化けを韓国的解釈で展開されていくところに、韓国製作の意義があると思います。当然、韓国の子どもたちを対象に製作されるため、登場人物も韓国人であり、マンションの部屋の中や学校の様子も韓国の日常が描かれています。

 

さらに、小学生くらいを対象にしているため、ストーリーの内容が教訓的、道徳的に感じます。韓国の成功したアニメと言えば、ポロロなど、子ども向けのアニメが強いように感じますが、日本アニメと比べて、教育志向が強いです。


日本アニメは、少子化の影響も受けて、子ども向けよりは、大人を対象とした、或いは、大人も見ることを想定したアニメ製作やマーケティング戦略を積極的に行います。韓国も同様に、少子化問題が深刻になっています。ターゲット層が少ないため、産業的成功は難しいように思えますが、それでも、子ども向けアニメが強いということは、韓国では、親が教育熱心?なのでしょうか?日本の青年向けアニメが多く輸入されていたとしても、依然として、アニメは子どもが見るものという前提が強いのでしょうか?

 

参照論文

ソン・ソラ『アニメ<神秘アパート:ゴーストボールの秘密>の構成的特徴と伝統的怪談のコンテンツ化の意味』韓国古典文学教育学会、2018年
송소라 『애니메니션 <산비아파트:고스트볼의 비밀>의 구성적 특징과 전통귀신담의 콘텐츠화의 의미』 2018년

 

www.kci.go.kr

2021年7月12日note記事を修正、再投稿.

*1:p.140

*2:p.164

*3:p.174