日韓の文系論文を読む人

読んだそばから忘れるので……

訪問販売員なのに「おばさん(아줌마)」呼びにこだわる理由 /ヤクルトおばさんという既婚女性の労働様式の構成

 

「おばさん」呼びをやめた日本ヤクルト

ヤクルトレディというヤクルト製品を訪問販売する仕事は、全国的に有名ですよね。
私の実家も、ヤクルトさんから定期的にヤクルトやヨーグルト、化粧品を購入しています。ヤクルトレディは、おばさん的イメージを払拭し、若い人も志望しやすくするためにヤクルトレディと呼び、制服も一新した経緯があります。また、保育施設を利用できたりと、子育て中でも働きやすい環境であることをアピールしています。

 

しかしながら、韓国のヤクルトレディは「ヤクルトおばさん(おばちゃん)」の呼び方が定着しています。


このようになった背景に、日本と異なる韓国社会の事情があることを指摘した論文を今日は共有しようと思います。

 

共有する論文:ジャン・ジュリ『ヤクルトおばさんという既婚女性の労働様式の構成』

 

主婦としての役割を家の外でも

ヤクルトおばさんは、そもそもなぜ「おばさん」なのでしょうか。例えば、○○おばさんと呼ぶ職業に「食堂のおばさん」「清掃のおばさん」があります。これは、既婚女性がするものとされる家事と関連がある職業といえます。

 

もし仮に、初めは、日本での呼び方をそのまま用いて「ヤクルトおばさん」としたとしても、気兼ねなく、「おばさん」と呼んで集められる社会背景が韓国にあると考えられます。


この論文が明らかにすることは2点です。

➀ヤクルトおばさんは、どんな構造の中で生成され、どんな特性を持つのか?

②どんな方式で継続され、「おばさん」という立場を作って固定したのか?

 

これらを明らかにするために、

 

  • 韓国ヤクルトの社史など、企業戦略を直接調べられる資料
  • ヤクルトおばさんの手記
  • 過去の研究者が行った、ヤクルトおばさんのインタビュー資料を用いて調べていきます。

 

日本で最初に、既婚女性を集めて訪問配達を始めたのは1954年でした。その理由は、経営者が大学を卒業したばかりの20代男性であったため、年上の30代40代の男性を使いづらかったことと、家族の健康を管理する主婦と同じ立場の女性が訪問したほうが、男性よりも有利に働くと考えたからでした。

 

1971年、韓国ヤクルトは、日本のヤクルトレディのシステムを導入して、既婚女性を募集し始めました。この際、韓国ヤクルトは公式的に既婚女性を募集しませんでした。なぜなら、既婚女性は家にいるべきで、家の外で働くべきではないという性規範のために大々的に集めることが難しかったからです。そのため、既婚女性が家の外で働くには社会的容認があることが重要でした。

 

「ヤクルトおばさん」は、他の○○おばさんとは異なる職業であることを表現しています。それは、母であり、主婦でもある既婚女性ができる仕事であることを示しています。つまり、既存の性規範の枠を逸脱することなく働けるということです。


また、韓国ヤクルトはヤクルトおばさんの学歴を強調し、ヤクルト製品の効能を説明できる専門性があるという点で他の「おばさん」との差別化を図りました。さらに、ヤクルトおばさんは大企業のヤクルト社に所属し、制服を着て働いているという点も、視覚的に「食堂のおばさん」のような他のおばさんとは異なることを表現しました。

 

ヤクルトおばさんは家庭と仕事の両立が可能な職業だと、韓国ヤクルト側はするものの、実際は厳しい現実があります。例えば、顧客との約束の時間に合わせて配達ルートを作ると、同じ道を行ったり来たりするなど、配達する側からしたら非効率になることもあります。しかしながら、直接家へ届けるという性質上、顧客との信頼が大事なため、そうするしかない現状もあります。すると、代理店への出勤と復帰の時間も合わせて、韓国ヤクルトが提示する平均労働時間の6.8時間を大きく上回ります。そのため働いている間、既婚女性がするはずの家事、育児などができなくなってしまいます。


日本ヤクルトの場合、労働力が不足する状況で主婦を雇用しようと、保育施設の利用ができるなどの福利厚生があります。しかしながら韓国の場合、このような負担は、各家族の問題へと転嫁され、「おばさん」の責任問題とみなし、日本ヤクルトが実施するような支援はありません。

 

「ヤクルトおばさん」は、単純に製品を配達するだけに留まりません。製品を配達する過程で、一人暮らしの老人の安否をうかがうなど、主婦としての役割を自宅の外でも果たしています。このような福祉活動は、既婚女性を社会と連結するものと強調されました。

 

論文の筆者は、このようなヤクルトおばさんが置かれている状況を分析したうえで、次のように結論としてまとめています。

 

「ヤクルトおばさん」の仕事は、既婚女性は家庭と連結されるべきで、
または、その主婦が正常的でなければならないことをずっと強調され
その立場性で構成されている。
しかし、これは自然に成り立ったのではなく、
これを後押しする社会構造、そしてこれを維持しようと介入するシステムや戦略を通して、作られてきたのだ。
このような動きを見ないまま、労働市場における既婚女性の労働者としての地位に対して、
通念やイデオロギーの影響に起因したものだとする単純な説明では、既婚女性の労働が、労働市場から周辺部に配置されるものを表面的に見せているだけだ。
したがって、具体的な動きを調べる中で、
既婚女性の労働者の労働権が保証されてなく、彼女たちの労働者性が認められていない問題を論じて初めて、
既婚女性「おばさん」の労働が正当に評価されるようになるものとして繋げることができるのだ。  *1

 

おばさんは家事・育児・介護しかできない?

ヤクルトレディは、日本だけでなく海外のヤクルト社にも導入されていることが紹介されています。日本発の成功例として、また日本人に親近感を与えるものとして見えますが、やはり、日本と異なる社会事情をもつ海外のヤクルトレディは、日本と同じものと理解することが難しいと分かりました。親しみが込められているはずの「おばさん」の呼称は、その「おばさん」としての役割を要求するものとして、社会に位置づけてしまうという現状も明らかになりました。そして、無償労働の家事と関連があることで、おばさんたちの労働も、やって当然の仕事として社会から低く見られやすいのだと思います。

 

主婦の仕事と関連性を持たせることによって、家の外で働くことが受け入れられた反面、主婦として面倒を見なくてはならない領域が広がっただけとも見ることができます。既婚女性の社会的位置について細かく分解しながら見ていかないと、私たちの偏見や先入観に気づくことが難しいほどに、複雑な社会の体系の存在が見えてきます。ヤクルトおばさんと呼ぼうと、ヤクルトレディと呼ぼうと、社会にすでにある性別体系を基盤に考えられたものであることを見落としてはいけないのです。

 

参照論文

ジャン・ジュリ『ヤクルトおばさんという既婚女性の労働様式の構成』梨花女子大学大学院 修士論文、2019年
장주리 「'야쿠르트 아줌마'라는 기혼여성 노동 양식의 구성」 이화여자대학교 대학원, 2019년

*1:p.78